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2009年12月アーカイブ

ネットの地図は凄い! 集美地区の地図です。

あれれ?

このウェブサイトには別の Google Maps API キーが必要です。新しいキーは http://code.google.com/apis/maps/ で作成できます。

というメッセージが出てしまいます。なので新しくキーを取得したのですが・・・ ご面倒ですが OK をクリックして下さい。 年が明けてゆっくりしたら原因を究明します。

12月28日

上記の問題は API キーを http://plasticity.jp/hitohira で申請したキーに書きかえることで解決しました。今まではhttp://plasticity.jp (レンタルサーバーの初期ドメインで申請したキーに変更してみたりしたが問題は同じでした)を使っていました。

Google-Maps-API-Japanグループで即座にアドバイスを下さったMasashi.K様ありがとうございました。

それから地図と 航空写真では微妙に位置がずれます。この点も悪しからず。

今まで日本国内の地図は色々利用してきましたが 中国だって使えます。

xfy Blog Editorに 簡単にGoogle地図を表示させる拡張コマンドがあるので使ってみます。

天湖

清源天湖
Latitude : 24.954217 Longitude : 118.602405

もうひとつ行きたかった海外交通史博物館、タクシーで移動して時間を見ると4時になっていますがまだ入館できそうです。 なんと夕方なので入館料は無料!
琉球国と書かれた石碑などの琉球との交易を示す品が展示されているのを見ていると沖縄とのつながりが深かった泉州を身近に感じました。
開元寺で見たあの、宋代に建造され後年発掘された巨船の展示は、以前の海外交通史博物館が開元寺にあったからで (1959年に開元寺内に設立されたそうです)1979年に『泉州湾古船陳列館』 となり泉州湾から出土したあの巨船や海事遺物などが陳列されています。
そして990年に東湖のそばに2本のマスとを持つ船をイメージしたモダンな海外交通史博物館が出来たのだそうです。
下の画像は海外交通史博物館のアルバムへのリンクです。このアルバムも関岳廟のアルバムと同じスキンを使っています。 サムネイル画像をクリックして表示される大きな写真の上部のボタンをクリックしてご覧下さい。

 

20091226181745.jpg

泉州 関岳廟

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イスラム寺院の隣に人の出入りの多いお寺?がありました。
お線香の煙ももうもうとしています。

関岳廟という三国志に登場する関帝と岳飛を祭る廟です。
廟って何?調べてみるとウイッキペディアには

廟(びょう、みたまや、おたまや、ほこら)
   1. 死者の霊を祀る所。もと祖先の霊を祀る所。現在は故人一般を祀るところに使う。別名、霊廟(れいびょう)。祖となった人物を祀る場合は祖廟(そびょう)と言うことがある。本来墓とは全く異なるが、墓のことも廟と呼ばれることもある。この項で記述。
   2. 王宮の前殿で、政治を行う所。

と書かれています。

さらに関帝廟の項目をみると

関羽は塩の密売に関わっていたとも言われ、蓄財にもたけていたと言う伝承や義に厚いと言うことは、商売に一番必要な信用(約束を守る)をつかさどると言う意味でも取られた事から商売の神としても知られている。そのため世界中に華僑が散らばっていったときに、商売が繁盛する様にとその居住区に関帝廟を立てた。そのため世界中の中華街などで関帝廟を見ることが出来る。

とあります。

これですね。華僑の故郷であるこの地方で多くの人の信仰を集める訳がわかりました。

下の画像は関岳廟のアルバムへのリンクです。
Jalubmを使って作成しました。今回のスキンは Highslide JS を使ったスキンです。
このスクリプト、Lightboxに似ていますがなかなかスマートです。
サムネイル画像をクリックすると大きな画像が表示されます。
画像の右上にあるボタンの操作でスライドショーで見ることもできます。
説明文も表示できるのは良いですね。

20091225155409.jpg

泉州で是非見たいと思っていたのは中国最古のイスラムの寺院です。

南宋から明、元の時代に大繁栄した海のシルクロード(東アフリカ~アラビア半島~インド~東南アジア~日本)の起点であり、一大国際都市であったという泉州。
泉州港は世界三大港であり、アレクサンドリア(エジプト)と並ぶ世界最大の港と称されたのだそうです。
(その後泉州港は土砂の堆積で埋まってしまい、貿易港としての役目は、福州や厦門へ移ったそうです。)

有名なマルコ・ポーロ も泉州にも訪れ、著書「東方見聞録」に泉州のことを記しているそうです。
そんなマルコポーロの時代にもう存在していたというイスラム寺院・・・こんな遠くまで来て自分たちの宗教のための寺院を建設した人達がいたなんて。。。歴史のロマンを感ぜずには居られない場所です。
現在は大門、奉天壇(礼拝所)の遺構(石柱)、コーランの石刻碑文が残っています。新設された小さなモスクがあり、新しい立派なモスクも建築中で、泉州の回族(イスラム教徒)の信仰を集めており、金曜日は礼拝者で賑わうのだそうです。

下の画像はイスラム寺院清浄寺のアルバムへのリンクです。

20091225002148.jpg

JalbumのPhotoPlayerというスキンを使ってみました。多機能なアルバムで音楽が同梱されていました。
音が出ますご注意下さい。

20091225002149.jpg

音は右下のアイコンをクリックすると音楽関係のボタンが表示されますので停止することができます。そのほかにもスライドショーにしたりフルスクリーンにしたり、スライドショー時の速度の変更が出来たり、、、アイコンの上にマウスを当てると英文の説明ですが説明も表示されますので色々試してみて下さい。
※戻るボタンは右最下方にある Back の文字です。

 

泉州 開元寺

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タクシーを降り開元寺へ入って少し行くと目の前に立派な塔が!
唐代に創建された古刹開元寺の有名な東西二つの塔のうちのひとつ
西塔の仁寿塔(916年)です。
クレーンはもとより自動車などもなかったあの時代に石造りの凝ったレリーフのあるこの塔をどのような方法で建てたのでしょう。
本殿の前庭には、樹齢200年から800年というガジュマルの巨木が立ち並び、圧倒されます。
東塔の鎮国塔は仁寿塔よりさらに古く865年の建立だそうです。
泉州は昔、海洋交易で栄えた土地でマルコポーロも立ち寄ったとか
建築物はインド風だったりイスラム風だったり、宋代に建造され後年発掘された巨船の展示館まであります。
日本の平安から鎌倉時代にこんな立派な船が造られ交易のために大海原に乗り出していっていたのかと思うとその時代の喧騒が聞こえてくるようです。
このお寺の前に西街と呼ばれる商店街がありますがこの通りも厦門のビルのある風景とはかけ離れた昔ながらの営みが残されているようでなんだかワクワクしました。

下の画像は開元寺のアルバムへのリンクです。

20091224230939.jpg

老君岩のアルバムと同じスキンでJalbumで作成しました。開くとウインドウ一杯の大きなサイズで自動でスライドショーが始まります。下方にあるボタンを操作することでフルスクリーンにしたり調整できます。
※左上のBackのリンクからこのページに戻ることが出来ます。
 

 

泉州 老君岩

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泉州のバスターミナルから北へタクシーで絶対に50元はかからないだろう距離(老君岩までは約3キロ)の清源山にタクシーで登り、そこではあまり待たせなかったので、復路は中国で最も大きな道教の石像として有名な麓にある、老君岩造像を見るために立ち寄り、そこでもタクシーに待っていて貰いました。
この清源山は海抜495mの低い山ですが、多くの奇岩・洞窟があり、古く唐の時代から知られる景勝地だそうで、宋代以来の摩崖題刻が500余刻まれているのだそうです。
何時か時間があればゆっくり歩いて登ってみたいものだと思いました。
老君岩のそばには、道教の廟があったそうですが 文化大革命で破壊されてしまったそうです。

老君について調べていてあるサイトに書かれていたのですが
この老君である、老子道徳経”のなかには こう書かれてるそうです。
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自然を観察すると、生命は循環しており、何か不足すれば、余っているところから補われて全体のバランスをとっている。ところが人間社会の制度は正反対をやっている。
欠乏している百姓から高い税を取り上げ、すでにあり余っている君主に差し上げる。
どこかの君主がその財力で、天下万民のために貢献してくれたら、有道の君主といえるだろう。
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 下の画像は老君岩のアルバムへのリンクです。

20091224123854.jpg

こちらもJalbumで作成しました。開くとウインドウ一杯の大きなサイズで自動でスライドショーが始まります。下方にあるボタンを操作することでフルスクリーンにしたり調整できます。
Jalbumはバージョンアップしてみたらかなり進化していました。
アップロードも簡単です。
いくつかのスキンを使って見たいと思います。

※左上のBackのリンクからこのページに戻ることが出来ます。


 

泉州 清源天湖

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秦代から開発が始まったという清源山。この山から泉州市内が見渡せそう・・・と前日ネットで調べて、タクシーで登ることが出来れば行って見ようと思っていました。
バスを降りるともうお昼間近でしたので目に入ったマクドナルドで簡単に昼食を済ませ、タクシーを拾いました。
タクシーの運転手は山の上ならメーターは使わず50元だと言っているとのこと。。。ちょっと高いかもと思いましたがめんどくさいのでそれでOKしました。
タクシーの中で帰りも頼みたいからそれを伝えてと通訳の高さんに言いましたら
タクシーは頂上でまた捕まるらしいとのこと。。。
そんなところなのかしらと思っていると、いざ頂上近くになって
タクシーは滅多に来ないので待つなら50元
帰りも含めて合計150元と言ってますと言います。
確かにタクシーは滅多に来そうにない場所で
勇気を持ってオートバイにまたがれば(オートバイタクシーはたくさん見ました)安上がりなのでしょうがその勇気はなく、あーあぼられてるなと思いながらも日本円に換算すればたいした金額ではないので、
若く交渉にも慣れない感じの高さんを介しての交渉がめんどくさくOKしました。
山の頂上、テレビ塔のあるところまで登れば見晴らしが良かったようなのですが時間が足りなくなりそうで、清源天湖(綺麗な名前ですが貯水池のような小さな池です)を一周して老君岩へ下りました。

ちょっと趣向を変えてココでの写真はJalbamを使ってみました。(下をクリックして下さい。開いたページの写真の上でクリックすると次の写真を見ることができます。左上にこのページへ戻るリンク Back があります)
 

20091221012147.jpg

 

 

 

先回雲南省の石林へ行った時はネットで出会った中国人のガイドにホテルまで迎えに来て貰い、前日は彼の車で石林観光、 翌日は彼の奥さんの案内で雲南民族村等を観光しました。
共に仕事の合間のアルバイトのようでしたが奥さんの方はJALに勤務されており、JALが雲南の空港から撤退すると言うことで、 雲南省の省都、昆明市にはほかには日本語を生かした良い仕事がなく悩んでおられた様でした。
あのご夫婦はどうされているでしょう。。。
ガイドを雇っての小旅行はちょっと贅沢ですが物価の安い中国国内では私のお小遣いでも可能です。何よりマイペースで楽しめました。 そして人と人との心の交流にも暖かいものがありました。
今回も・・と出かける前にネットでみつけていたサイトに電話をして料金を尋ねましたらとても流ちょうな日本語で(それもそのはず、 あとから知ったのですが彼は日本人だそうです)バスで行って向こうでガイドを雇い、タクシーを利用するのが経済的な方法だとのこと。
明後日お願いしたいというと少なくとも1週間くらい前には・・・とのことでしたので、日本語を練習中の子でも良いですよ、 もしどなたおられれば、、とお願いして電話を切りました。
すると暫くして電話がかかりました。女の子の声です。では明後日泉州のバス亭で会いましょうと言って電話を切りました。
その泉州行きの長距離バス亭はどんなところかしら?下見しておこうというわけで厦門大学に行く前に、 タクシーの運転手に長距離バスの駅という意味のような中国語を見せて連れて行って貰うと、あのビルの上だとのこと。
なるほどエスカレーターを上がるとバス亭で午後なので人は少なく綺麗な待合室はがらんとしています。
ここから乗るのね。多分わかるでしょうとバスの時間表をデジカメで撮ってそこを離れました。 

エスカレーターを登るとバスターミナルですとのこと 泉州行きのバスは30分おきに出ているようです バスターミナル前のバス亭の標識

BRT で島内に戻ってタクシーを拾い厦門大学へ行ってみました。 このあたりは以前にも歩いていますがなんだか雰囲気が変わっていました。
この廈門大学も1920年代に陳嘉庚(ちん かこう)の寄付により設立された大学なのだそうです。
中に入ってみたかったのですが時間もなく、準備もしていなかったので次回の楽しみにしました。
有名な南普陀寺がそばにあります。

厦門大学 厦門大学 厦門大学:中へ入りたかったのですがなんだか検問があるようで・・・諦めました  

「学生の友・・・」と書かれた緑の看板のお店の横の路地を通って北側の通りに抜けてみることにしました。
古い中国がそのまま残っていいるような路地です。
中学生もたくさん歩いているので安全だと判断しました。

集美の路地 集美の路地:この町では2輪車が活躍しているようです 集美の路地 集美の路地:

 

毎年、端午の節句に大規模な民俗活動-竜舟(ペロン)競漕が催されるという竜舟池(幅300メートル、長さ800メートル) を一回りしてみました。砂浜に堤防を築いて作ったと言う三つの池の一番海側の大きな池です。池を巡りながら行くと。。。 楼閣のある建物の入り口がみつかりました。なんと集美中学と書かれています。
集美学村の建物は、福建省南部の典型的な僑郷建築の風格に合わせて、西洋建築の簡潔明快さをも取り入れて、「嘉庚風格」 と呼ばれているそうです。
陳嘉庚は自らの資金で1913年に集美で最初の小学校を創設してから1925年までの間に女子小学校、幼児教育師範学校、女子師範学校、 師範学校、中学校と水産航海、農林、商業貿易などの専門学校を創立し、集美に学齢前から高等専門教育まで延べ12の学校・ 学院を有する大規模な集美学村を作り上げたのだそうです。

竜舟池:帰来園から出て西方向を見る 竜舟池 見上げれば木の間より立派な塔が見えます 正面を見れば「集美中学」と書いています!

 

翌日、集美のあのお城のような建物は何だろう?ゆっくり見たいなぁ
それにあの池の周りを歩いてみたいと再びBRTで集美に行きました。
今度は街を回らずに行ったのでとても近く感じました。

BRTの車窓から BRTの車窓から:厦門島で始めて見かけた農地 集美体育館のBRT駅から見た体育館 BRT駅


集美大橋を渡ってすぐの集美体育館の駅で降りてタクシーに乗り地図で場所を示して故居の前まで行きました。
故居の前が帰来堂です。
故郷を忘れず祖国を熱愛することを海外の身内に伝え、帰国したら集まる場所を持つために、故居の前に「帰来堂」 を建てたいという 陳嘉庚の生前の願いを、周恩来総理が知り、重大な意義があると考え、 永久の記念として建物の規模を拡大して建設するよう指示し、1962年、陳嘉庚逝去一周年の日に この「帰来堂」 が落成したのだそうです。  

故居を出てキョロキョロしていると三輪バイクのおばさんが声をかけて来ました。
次の場所まで乗らないかと言っているようです。
一度乗ってみたいと思っていた三輪バイク・・・幾らかと尋ねると10元とのこと。
集美体育館からここまでのタクシー代が基本料金の8元でしたので
ちょっと高い気がしましたがまぁ良いかと乗り込みました。
彼女は声高らかに「10元だ!」とふっかけた成功をみんなに告げている様子・・・
すぐに出発しましたがガタガタ道で乗り心地はあまり良くありません。表示
でも楽しい!
あとで思うと回り道をしたようですが、近くだったので降りてお金を払うとき「多!」と言ってやりましたが何のその・・・
でも公園への入場券は故居との共通であることを一生懸命説明してくれ
その入場券での入り方を一生懸命教えて呉れたので良しとしました。
(故居で買った入場券には「一票制」と書かれ八折(2割引)16元の赤いスタンプが押されており、◎陳嘉庚記念館、嘉庚文化広場、 ◎嘉庚公園、鰲園 ◎陳嘉庚先生故居 ◎帰来堂、帰来園 の名前が書かれ、バーコードも印刷されていました。 国家AAAA級旅遊景区との記載もあります)

ウミガメに似た形とのため鰲園(ごうえん)と呼ばれると言う小さな島にはお寺(一説には鰲王宮)があったのだそうですが、 戦争中に日本軍によって破壊されてしまい、 その跡地9880㎡を使って、1950年に陳嘉庚が、 10年がかりで海を埋め立てこの島を拡大して、公園としたのだそうです。 毛沢東によって書かれたという高さ28メートルの集美解放紀念の碑がそびえ、綺麗な回廊があり、陳嘉庚の立派なお墓もあり、 整備された広場や、海に沿った遊歩道、真新しい陳嘉庚記念館があります。
園の中の建築と彫刻は内外古今、天文地理、科学技術、文化教育など多くの題材のものがあり、「教育を旅行に宿らせ、教育を楽しみに宿らせる」 という陳嘉庚先生の思想を表しているだけでなく、福建省南部の石彫の見事な工芸も現わしているのだそうです。

三輪バイクの車上から 嘉庚公園入り口 園内回廊 園内から鰲園(ごうえん)の方向を見る

 

1918年に建てられ、戦争中破壊され、1955年に人民政府の資金で修復された陳嘉庚の住宅跡。
彼はここに住んで、厦門大学の創立と集美学村の拡大を計画したのだそうです。 彼は病気治療のため北京に移り住むまでここで暮らしたのだそうです。彼の手稿、 衣服などの日常生活用品を陳列し記念の館として公開されています。この住居跡は、彼の資産からすれば、日常生活はつつましく、 公のために尽くした高尚な人柄を反映しているのだそうです。確かにあとでわかったのですが、集美学村に点在する大きい建築物に比せば、 陳嘉庚の故居は平凡で質素です。

シンガポールでゴム園を経営して財を成しゴム王と呼ばれた、陳嘉庚という華僑の故郷、集美は厦門島の対岸にある街で、 天下の美を集めているということから、「集美」と名づけられたそうです。
その陳嘉庚は私財を投じて学齢前から高等専門教育まで延べ12の学校・学院を有する大規模な集美学村を作り上げたそうです。 一度行って見たいと思っていたこの集美地区へは厦門島からは出来たばかりという、BRTを利用して簡単に行くことが出来ました。
BRTとは渋滞対策のために幹線道路の上に片側一車線のバス専用の高架道路を建設して路線バスだけを走らせている高速公交道のことです。 一般の路線バスと共通のバスカードが使え、島内は一般の路線バスとも全て1元のよう、島から出ると数元かかるようでした。

間抜けな私

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携帯電話にANAのモバイルAMC アプリもインストールして
必要な情報を全て携帯電話に詰め込み、国際電話しても代金を心配しなくて済むよう料金プランも拡大して
ついでに時間があったので空港のドコモカウンターでWORLD WINGの明細サービスまで申し込んでいざ搭乗!
当然航空機の中では携帯電話の電源を切り、飛行中に本当は電源を入れてはいけないらしいのですが、見たい情報があったので電源を入れたら。。。「PIN1コードを入力して下さい」と。。。
あーそうでした。そそっかしい私、海外で電話を盗まれたり無くしたりしたら大変なのでFOMAカードを悪用されないようにパスワードを設定していたのです。
えーっと何だったかな・・・と心当たりの数字を入力するのですが、、、ヤバイ!ロックが解除されないどころか今度はPINロック解除コードを要求される羽目に。。。
えーっと何だったかしら・・・あーもう駄目です。

もし空港に迎えが来ていなければ万事休すのところでしたが出口でちゃんと娘のお婿さんが待っていてくれました。彼の顔が地獄で仏に見えた一瞬でした。
だって必要な情報は携帯の中にしか無かったからです。
これからは電子機器は過信せずに紙に書いた物も持ち歩かなければと反省した一瞬でした。
無事娘の家に着いて早速パソコンを借りUSBメモリに保存したパスワードを見ようとメモリを接続してみたのですが
ががーん! 間違えて別のメモリを持ってきてしまっておりました。(全く同じメモリなのです)
おかげで全てのメールアドレスへのメールを受け取れるよう設定しているGMailのパスワードも思い出せずあーあです。
今後はこういった大切なパスワードはしっかり自分の頭に刻み込んでおかねばなりません。
(ついこの前安全のためにより複雑なパスワードに変更したのが運の尽きでした)
幸い現地で使用できる携帯を娘が用意してくれており、それに国際電話もかけることの出来るプリベイドのカードを購入して入れましたので不自由なく過ごすことは出来ましたが。。。

あー何と間抜けなことでしょう。
自分で自分に愛想が尽きました。
ちなみにあとで調べたらPINロック解除コードとは携帯を購入したときに頂いた用紙に書かれていた8桁の番号だったとかで・・・そんなもの既に紛失していますので、早速帰国後ドコモショップで初期化して貰い使えるようになりました。

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